2012年12月31日月曜日
伊勢神宮へ参拝
朝5時の開門前に伊勢神宮の内宮に行く。
ライトに浮かびあがる大鳥居。
背景には無数に散らばった星に輪郭を縁取られる朝熊山。
「荘厳」という言葉が似合う。
吐く息は白く、冷えた空気が頬に刺さる。聞こえる音は五十鈴川の水の音だけ。
「静謐」という言葉が似合う。
最初は門番の警備員だけだったのが、5時に近づくにつれ3、4人集まってくる。
「毎日参拝してるんですか?」と僕。中の一人に声をかけてみた。
「そうやで」とおじさん。14年間、毎朝参拝しているとのこと。
開門。
皆に続いて僕も宇治橋を渡り伊勢神宮の境内へ入る。境内の中は真っ暗で道もほとんど見えない。
点在する照明を頼りに歩く。
正宮と、別宮の荒祭宮を順に回ってお祈りをする。
「世界が平和になりますように」と重々お願いしておいたので、来年の世界はきっと平和です。
2012年12月9日日曜日
2012年11月25日日曜日
2012年11月3日土曜日
2012年10月28日日曜日
2012年7月28日土曜日
二十歳の原点 再読
何年ぶりかな。高野悦子の「二十歳の原点」を再読した。
学生運動に混乱している時代(70年代)に立命館大学の女子学生が、その自殺の前日まで書き連ねたノートが単行本として出版されたものだ。
彼女から溢れだしてくる文章を読んで、以前読んだときと何ら変わらない感動があった。
前回読んだのは、まだ大学1年の頃だろうか。彼女と同じ年頃の頃だった。その時は、自分の「孤独」「未熟」を彼女と同じように悩んでた。
それから僕も年を重ねて、その悩みは若さゆえの悩みなのだと今は思う。
彼女は二十歳に亡くなってしまうけれど、もし今の僕と同じ年まで生きていたら、彼女はノートにどんな心を書き留めてたんだろう。
学生運動に混乱している時代(70年代)に立命館大学の女子学生が、その自殺の前日まで書き連ねたノートが単行本として出版されたものだ。
彼女から溢れだしてくる文章を読んで、以前読んだときと何ら変わらない感動があった。
前回読んだのは、まだ大学1年の頃だろうか。彼女と同じ年頃の頃だった。その時は、自分の「孤独」「未熟」を彼女と同じように悩んでた。
それから僕も年を重ねて、その悩みは若さゆえの悩みなのだと今は思う。
彼女は二十歳に亡くなってしまうけれど、もし今の僕と同じ年まで生きていたら、彼女はノートにどんな心を書き留めてたんだろう。
2012年1月2日月曜日
熊野古道伊勢路(伊勢~尾鷲)
「へー、熊野古道って伊勢神宮から新宮までの伊勢路ってのもあるのかー」と、とあるきっかけで知った。実家への帰省がてらいつも参拝する伊勢神宮から熊野古道が伸びているのであれば、「いっちょ歩いてみるか。」という気持ちになるのが、自然の摂理である。覆水が盆に返らないように、リンゴが上から下へ落ちるように。
そんなわけで、いっちょ歩いてみた。日程の都合上、今回は伊勢神宮内宮から尾鷲の町まで。残りは来年の年末の帰省時に歩く予定。
熊野古道伊勢路は伊勢神宮から、熊野速玉大社(もしくは熊野本宮大社)への170km程度の道で、江戸時代に、お伊勢参りから熊野詣でへ、そして、西国三十三ヶ所観音霊場巡りへ向かう道として賑わったという。
熊野古道が世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」として登録されているのは有名だが、この伊勢路についても一部がこの世界遺産の対象になっている。
実際に歩いてみて気付いたが、この伊勢路の半分くらいは現在の国道42号線と重複する。そのため伊勢路の道程はこの国道42号線となった部分と、それからずれた旧道、そして山道を歩く「峠」とで分類できる。国道42号線は車がびゅんびゅん通るので「古道」の趣きは皆無。世界遺産の対象は「峠」の部分だけだそうだし、よっぽど踏破を目的としない限りはいくつかの「峠」の道をピックアップして歩くだけでよいな、と思う。
今回の歩き旅で印象に残ったことを以下に書いていこうと思う。
■水
伊勢から尾鷲まで歩いて印象的だったのが水の綺麗さ。川・池・海のすべてが驚くほど透明。ドブの水さえ透明。日本一の多雨地帯である大台ケ原から流れてくることに秘密があったりするのかなと考えているが詳細は不明。後述する尾崎咢堂記念館の館長?の方に教えてもらったのだが、宮川(伊勢路はこの川沿いを歩く部分が少なからずある)は清流日本一にしばしば選ばれるようである。
■茶畑
後から調べて分かったことだが、三重県はお茶の生産量が日本3位なのだそうだ。伊勢路を歩いていると茶畑があちこちに広がる。これらは伊勢茶というブランドで売られるらしい。茶畑に必ずといってあったのが、高さ5mくらいの高さから地面(茶畑)に向いている扇風機風機械である。道行く人に聞いてみると霜除け用で高い所の暖かい空気を送ることによって霜を防ぐらしい(防霜ファン)。
■瀧原宮
紀勢本線の滝原駅付近には、瀧原宮という神社がある。伊勢の内宮の別宮らしく、伊勢に内宮ができるまでは天照大御神はこの場所にいたらしい。深い森を抜ける長い一本の参道と、その果てにある社からなるシンプルな構成で、森と宗教のいい感じの融合が心地よかった。
■峠
基本は単なる山道である。始神峠では熊野灘の絶景が拝める。馬越峠では石畳が敷き詰められており趣きあり。馬越峠を尾鷲側に下っていく途中に尾鷲の町が一望できる。そこからの景色で一番目につくのは巨大な煙突。中部電力の火力発電所で、尾鷲市を歩いているとどこからでもこの煙突が見えて、なんだか町のシンボルの様相。もう一つ目につくのは、ジュラルミンの銀色のドームで、これは尾鷲市立天文科学館で竹下内閣時代の「ふるさと創生事業」での一億円の使い道としてこの科学館が設置されたらしい。
■尾崎咢堂記念館
熊野古道と直接は関係ないが、伊勢市から田丸まで伊勢路を歩く途中の宮川のほとりに「尾崎咢堂記念館」があったので寄ってみた。その日の訪問者は僕だけだったようで館長?らしき人がコーヒーまで入れてくれていろいろ説明してくれた。「咢堂」は雅号で「行雄」が本名。憲政の父と呼ばれ、ワシントンに桜を贈ったのはこの人らしい。尾崎咢堂記念館は全国に3つあるらしく、一つはこの伊勢で、もう一つは相模原市、最後の一つは国会議事堂そばの「憲政記念館」がそれらしい。いつも前を通ってたのに、気づかなかったなー。
■参考
今回の歩き旅はこの本を参考にした。
また、尾鷲の熊野古道センターでアンケートに答えてもらった「熊野古道伊勢路図絵~平成の熊野詣」というパンフレットが来年の旅に役立ちそう 。
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