2018年8月5日日曜日

「記号創発ロボティクス」を読んで。

記号創発ロボティクス 知能のメカニズム入門」(著:谷口忠大)を読んだ。

ロボット上に知能を創り出そうと取り組む一連の研究についての解説である。読み進めているうちに、「人間の知能(または心)」とは何かということについて捉え直させられて非常に面白かった。

例えば、人間は生まれた当初は単語を何も知らないのに、単語の明示的な区切無しに連続して発音される発話の中から、いつしか人間は自然にその発話の中から単語を抽出しその単語が示す意味を理解するようになる。今まで深く考えたことなかったけど確かに不思議。

このような能力を身につけられることの理由の一つを示した研究の例が示されていた。

英語の「不思議の国のアリス」の文章から全てスペースを取り除いて、連続的な文字列の中から教師なしの機械学習で単語に分割することに成功したという。つまり言語そのものの中に、単語を区切るヒントが存在していることを示しているということだ。そんなこと思ってもいなかったので目からうろこだった。

また、人間が記述的な説明をしなくてもコミュニケーションが取れることに関するトピックの中で以下のような話があった。
そもそも、言語的なコミュニケーションとは言語により厳密に伝達内容を記述し、それを他者へ送信する行為ではない。むしろ、他者から発せられたサインとしての記号列へ解釈者が能動的に意味付けを行う創造的な過程である。
なるほどなと思う。例えば「それ」という単語(サイン)を伝達するけれど、「それ」に「机の上の醤油」という受け手が意味づけを能動的に行うことにより「それ取って」というやり取りが可能になりコミュニケーションが円滑になっている。
単語(サイン)と「そのサインが指し示す対象」の紐付きは決して人類共通ではない。人それぞれ、または状況によって動的に変わるものだということ。

おそらく「りんご」という単語一つとっても、それは人それぞれ微妙に違うはずだ。例えば、一般的な林檎を思い浮かべる人もいれば、今目の前にある机の上の特定の林檎を思い浮かべる人もいるだろう。そのような単語(サイン)と「そのサインが指し示す対象」の紐付き、つまり「記号」が、ある程度揺らいだ世界(システム)の中で、人間はコミュニケーションを行っている。

そのことを端的に上手く、以下のように書いていた。
個々の主体が環境との相互作用を通して概念を形成し、分散的にコミュニケーションする。この分散的なコミュニケーションを実現するために、また、そのコミュニケーション実現の努力を通して記号系がボトムアップに形成される。そしてこの記号系が個々のコミュニケーションを実現すると共に制約するのである。 このミクロマクロループを内在させ、記号的コミュニケーションを創発するシステムを記号創発システムと呼ぶ。

あまりまとまりのない感想文になってしまったけど、 とにかく面白かった。また読み直してみたいと思う。

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